動的分子化学研究室Chemistry of Dynamic Molecules Laboratory

講義関連情報

長崎大学における講義では、主にLACSシステムによって講義や学習資料が公開され、学外からも閲覧できます。 詳しくは講義の際に担当の教員に質問してください。

LACS活用ガイドブックに相樂教授が執筆したもの

LACS学習の活用事例


世界の中での日本の化学教育レベル

 他国の標準的な化学系の大学一年次生に対し、入学まで前までに学ぶべきこととして、何を求めているか、シラバスを縦覧すると知ることができます。これと、日本における化学系学科・コースの初年次におけるシラバスと比較してみると、日本の化学教育の内容と深さが、世界レベル比べて少なくとも1年間分は遅れていることが見えてきます。

 これを読めば、死に物狂いで勉強しないと、世界と勝負できないことがわかります。この世界との差は、ゆとり教育から脱却したとされる今でさえ、詰まっていないどころか、拡大しつつあるようです。


20世紀最高の物理学者Feynmanと孔子による教育・学びの神髄

 20世紀最高の物理学者は誰か? 物理学者のアンケートによると、ダントツはRichard Feynmanですね。Feynman博士の講義も世界中から高く評価されていますが、アメリカトップレベルの学生対象の基礎物理の講義についてさえ、Feynman博士自身、以下のようにコメントをしています。

  • 『目の前で実験をして見せて質問したところ、誰も答えられなかったのに、専門用語を持ち出すと見事に答えられた。… コンピュータが正しいキーワードの時しか動作せず、同じ意味の違う言葉では反応しないのと同じだ。』
  • 『テストを見事パスして、たくさんのことを「学んだ」ことになるわけだが、丸暗記した以外のことは、実は何も「知って」はいない。』
  • 『教育とは、実はもう教育など受けなくてもいいと思いつつやってきた受講生に、いかにして教育が意味あることだと気づかせることに尽きる。』

 また、孔子の以下の言葉が、論語・述而第七に記されています。

  • 「… 憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとす …」= 激しい感情を覚えるくらいの思いがあってこそ、本当の学びの喜びがある。
  • 「子曰、不憤不啓、不悱不発。…」= 憤りを発するように学ばねば学問の道は開かれない。言いたいことが言えず、もどかしい思いをしてこそ言いたいことが言えるようになる。

 いずれも卓見です。孔子の最後の言葉は、外国語を話せるようになる過程そのものです。

参考文献:
  • ファインマン物理学(3)電磁気学 宮島龍興訳、岩波書店
  • 孔子「論語」


本当は、出欠管理カードリーダも、出欠・試験・評価も要らない。

 戦前の横浜高等工業学校(現在の横浜国立大学理工学部)の初代校長だった鈴木煙州(鈴木達治)先生の教育基本理念は、三無主義といわれます。つまり、無試験、無採点、無賞罰であり、個々の講義では、『出欠を取らない』、『試験をしない』、『評価をしない』ということです。学修意欲の源泉は、ただ『自覚』あるのみ、という思想です。最初は戸惑う新入生も、必死になって勉強し、活発な質問が続出する講義だったそうです。その成果は、第二次世界大戦後の京浜工業地帯を支え、スピード感と力量ある復興を成し遂げた多くの優秀な人材を輩出したことで実証されています。

 この理想は、今も全く同じです。本当は、出欠管理システムが必要な状況こそが、あってはならないものだと思います。

発展途上国の子供たちの勉強: 高校生より勉強しないで大学生か?

 最貧国や発展途上国と言われる国々でも、男女問わず、初等・中等教育を受けられない子供たちは非常に少なくなっています(ハンス・ロスリング他、「FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」2019年参照)。

 何が教育を普及させているのでしょうか? 鍵は、教師の派遣でも、教材のプレゼントでも、黒板と校舎でもありません。実は、水道と電気です。水道があれば、毎朝2時間かけて家族が生きるために必要な水汲みをせずとも、勉強が始められます。電気があれば、農作業を手伝った夜に、電灯のもとで勉強ができます。

 そう、教育を成り立たせ、教育レベルを上げているのは、与えられた機会を活かした子供たちの主体的な勉強姿勢です。大学生の皆さんは、光熱水道に困ることもなく、毎日授業を受ける機会を得て、同じ専門を目指す多くの同級生・友人を得て、研究設備も使えます。自覚をもって主体的な勉強を毎晩しない大学生は、受験勉強に明け暮れた高校生の時と比べて劣化しているだけでなく、最貧国で電燈の下で眼を輝かせている子供たちよりも、不熱心と言わざるを得ません。